先日、旧い友人の竹内君(仮名)と友人のTさん(女性)と3人で
「カフェボヘミアミーティング」と称して朝まで飲んでいました。

時はそろそろクリスマス。
何故「カフェボヘミアミーティング」と呼ぶのかは置いといて。
事前調査では、竹内君(仮名)はTさんに気がある?らしく
何とかなりたいと、話では強い意志があるようだったので
それをふまえて夜も更けていきました。

とかく、恋愛てものは『本心で…」なんて言いがちですが
端から聞いていると
お二方、お互いに主張のみであり、ぶつかることばかり
事前調査でTさんにはまったくその気無しというのは確認していたので
まま、しょうがないかとは思いつつ、思ったことは
主張ばかりというのは
果たしてこの夜のお二方だけの話ではないように感じたのです。

おそらくは、僕等の世代以降
社会も豊かになって、物も溢れ、苦労せずとも手に入り
情報が氾濫して、誰もが「その気」になれるようになってしまったように思う
そういう背景の元、育ってきた僕等は
やはり甘やかされて生きてきたに違いない
「甘える」ことは十分に身に付いているけれども
しかし、かかし。
他人の甘えを受け入れることに極端に欠けているのではないだろうか。
それゆえ、恋愛や愛情表現において
「主張」のみが目についてしまうように思えるのであります。

利益を得る、希望が叶う、夢に向かって生きる
そんなことを美化しすぎてきたのではないかと思ったりする。
もちろんそれらは決して悪いことではなく
「夢が無いと生きられない」とかいう言葉を否定するつもりは
もちろんありませんが
現実は「夢」なんか無くったって、毎日食べて、生きているでしょう。

具体的な事柄に例えるようなことではなく
感性としての「希望」と「現実」が
絶妙にアンバランスなように思えた。
普段の生活、社会で暮らしている以上
通常の生活ではとれているバランスが
自分自身の「芯」に関わるような恋愛や愛情の事になると
アンバランスな本心があらわになってくるような
そんな印象を受けてしまった。

僕等は総じて、きっとアンバランスなのだと思う。
誰かに好かれれば、その人が「好き」であり
好かれなければ、その人は「嫌い」
それはちょっとおかしい話なのである。
普段は内に秘め、いつかきっとと思っているものが「本心」であるなら
やはり、本当の心でのバランスが
とても大切なんだろうなと、妙に年寄りになってしまった夜でした。

本心でバランスがとれている人ならば
その人の現実がどうあれ
きっと普段も素敵な人なのだろうと思う。













すいません。
つい昼間っから飲んでしまいました…年末なので…。

コメント

nophoto
銀蛸(*^m^*)
2009年1月13日14:56

今日も平和なお天気で嬉しいですね〜
年明けのブログ初めを待ってたけど
待ちきれなくなったので
明けましておめでとうございます(^o^)/

どんと焼き迄は正月でいいのよね(?・ω・)

nophoto
2009年10月23日5:15

インフルエンザにはかかってませんように

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索